結婚10周年(凌大編)

2011年10月に文美子さんと結婚して、この10月で丸10年を迎えました。

 

10年ひと昔、、、とはよく言ったもので、本当に10年前の自分たちからは全く想像ができない今の私たちがいます。

 

東京に住んで、バリバリ仕事して飛び回っていたのに、

今は沖縄に住み、子供が2人、仕事と生活のバランス感覚は全く違います。

 

ということで、この10年の振り返りを自分のためになんとなく記しておきたいなと思います。

長くなると思いますので、ご興味ある方、お時間ある方のみお付き合いください(笑)

 

 

 

30歳で結婚した当初は、東京でガンガン仕事させていただいてました。

仕事第一。何より仕事優先。寝る時間を削ってでも仕事を進める日々でした。

休んだら負け。そんな空気感の中で生きていました。

死ぬのなら太鼓打ちながら舞台で死にたい、そう思っていたくらいです。

 

文美子さんもそんな自分を理解してくれていて、一緒にイベントを作り上げたり、演奏したりする中でも

2人で徹夜は当たり前のような生活を送っていました。

身体の声を無視してでも仕事したい!そんな日々でした。

 

そもそも結婚披露パーティーが、2人の企画・制作・構成演出・主演、、という。。。

とにかくそんなことが2人とも大好きで、この10年でたくさんのイベントやライブを企画して、制作して出演して、、、とそれは今も変わらないところです。

 

そんな仕事三昧な日々の中、2013年頃から喉に違和感を感じ始め、医者に行くも全く何も引っかからず。

しかし徐々に違和感は痛みに変わり、痛みで食べることもしゃべることも辛くなり始めました。

2014年後半はだいぶしんどくなっていて、たくさんの病院をたらいまわしにされるも何もわからず痛みだけは増していき、、、

年末に喉の入り口に大きな潰瘍を発見。

2015年初めに某有名大学病院にて、口腔内、咽頭に潰瘍が多発する「難治性口腔咽頭潰瘍」と告げられ、「こういった症状はありますが、原因の特定はできていません」と。

そして有効な確たる治療法はなく、痛みを軽減するためにステロイド剤しかありませんと言われました。

 

一時期はキシロカインという麻酔薬を薄めて飲んで喉を麻痺させてから食べ物を食べていました。

そのステロイド剤を最初は飲んでいて、確かに痛みは楽になったものの、薬をやめればまた潰瘍が多発。

 

「これはステロイド剤を飲み続けないといけないんですか?」

と尋ねたところ

「今のところそれしかありませんね。」

と言われたことに疑問を持ち始め、色々なことを調べ始めました。

そして対症療法しかない治療法よりも自らの力で根治を目指すことに決め、ステロイド剤を断り、病院に行かなくなりました。

色々な考え方があって当然だと思いますが、自分は自分の身体を信じ、長い時間がかかっても根治を目指すことを誓いました。

 

そこからは痛みとの闘いで、、、本当にしんどかった。。。

しんどくてしんどくて、何度も痛みから逃れたくて考えてはいけないことを考えたりしました。

 

そんな中でも2015年に娘を授かり、子育ても大変な中、文美子さんは自分を支え続けてくれました。

根治を目指すにあたり、たくさん勉強する中で多くのことがつながっていき、ざっと書くだけでも

 

人間の身体のこと

免疫機能のこと

薬のこと

医療のこと

予防接種のこと

社会システムのこと

食べ物のこと

農薬のこと

添加物のこと

原発のこと

お金のこと

環境破壊のこと

 

などなど、今まで知らなかったことばかりで、いや、知った気になっていたことばかりで、

そうだと思い込んでいたことが、ことごとく崩されていきました。

 

 

原因不明と言われたのもあり、痛みで絶望の中にいたこともあり、

もうすべての環境をリセットして沖縄に移住しよう、と夫婦で話し合って決意。

 

2016年に沖縄に移住しました。

その頃は本当に症状がひどくて、声帯の方まで潰瘍が広がりえぐれていきました。

喉の入り口もどんどんえぐれて形が変わっていき、ひどいときは喉ちんこと言われる部分が半分くらいえぐれて傾いて無くなるんじゃないかと思いました。

 

声帯までえぐれると声も出なくなり、息を吸うだけでも針で刺すような痛みを感じ、寝ても起きてもずっと痛い。。というか痛くて眠れない。。

唾がうまく処理できず、すぐむせる、むせれば地獄のような痛みが伴う。

痛くて水も飲めず、ご飯の時は食卓に座って食べ始めるまで、痛みを覚悟するまでとても時間がかかり、一口食べては涙を流すような日々が続きました。

 

そんなどこにも逃げられない痛みを抱え、日々イライラと悲しみと、「なんで自分だけ?」という怒りと、、、

娘にも優しくできず、文美子さんにもきつくなったり、、、

それでも筆談したり、お互いに指文字を覚えて会話したり、身体にやさしいものをと手間をかけ料理を作ってくれたり、痛みで動けない自分を気遣って子育てしながら大変な家事をこなしてくれました。

 

どれだけ二人で泣いたか。。。

思い出すだけで辛いです。

 

そうやって支えてくれた文美子さんには、もう本当に感謝しかありません。

もし結婚してなくて、この状態だったら、、、今この場にいなかったかもしれません。

 

 

そんな状態の中で一時期はもう人と会うことも嫌で、太鼓も打てず、この仕事をあきらめることも考え、

沖縄で在宅でもできる仕事を勉強させていただいていました。

 

その時間がまた自分の中の和太鼓への愛を深くしてくれていて、

本当に好きなことをして生きていくことの大切さに気付かせてくれた時間でもありました。

 

どんなに体調がきつくても、和太鼓を打って舞台に上がっているときは、心が晴れる。

痛みを忘れることができる。

その反動はくるけれど、舞台に乗っているときの感覚や感情は残っているので、そこにまた救われるんです。

 

結局太鼓にも救われ、この仕事を志事として続けていくことを改めて決意しました。

 

食養生や生活習慣の改善を続け、(その間にも漢方やファスティング、様々な民間療法を試したりしていました)

2018年頃から波はあるものの、少しずつ痛みが和らいできて、

気力も少しずつ湧いてきました。

喉の潰瘍も痛みで動けなくなるほどに悪くなることは少なくなり、

口唇炎や舌炎も3ヵ月治らないのが当たり前だったのが、大きく酷くなる前に治ることが多くなってきて、

声も以前のような大きな声を出すことはまだできませんが、だいぶ復活してきました。

 

2020年からコロナ禍に入り、家で過ごす時間がかつてないほど増えたことで、

身体にやさしく健康な食事をたくさん取ることができ、また一段と良くなってきています。

 

文美子さんと文字通り二人三脚でこの症状と向き合って、ひとつ山場を乗り越えたような感覚です。

とってもとってもしんどかった時もあるはずなのに、いつも笑顔で家を明るくしてくれる文美子さん。

 

一緒になって様々な情報を共有して、勉強して、それを協力して実行する、、

それができるのも同じように価値観を変化させてきたからだと思います。

 

2人とも10年前はジャンクフード大好き、中身を気にせず甘いものをたくさん食べて、休むことよりも仕事優先の生活を送っていたのに、

今はできるだけ身体にも地球にも優しい食べ物を、身体の声を聴きながら楽しむ、そして何よりも「健康に楽しく笑って暮らすこと」がどれだけ幸せで尊いものか、感じながら生きています。

 

痛みがひどく、娘が小さい頃には声掛けができず、あまり遊んであげられなかったので、

今0歳児の息子に話しかけて、たくさん遊んであげられることがどれだけ幸せなことかを実感しています。

 

 

できるだけ健康に長生きをして、

愛する娘と息子の成長を見守りながら、

文美子さんと今の人生をとことん楽しみながら過ごす、

これが今の目指すべきところです。

 

そこに「祈り、奏で、生きていく」というライフワークを重ねて、

これからも夫婦で歩んでいきたいと思います。

 

大きな大きな山も深い深い谷もたくさんあった10年でしたが、

そのおかげでさらに大きな幸せと愛を知ることができました。

今は何より幸せです。

 

文美子さん、本当にありがとう。

 

今までもたくさんたくさん旅をしてきたけど、

これからも一緒に人生を旅していきましょう。

どうぞ宜しくお願いいたします。

 

今年は生まれて40年

太鼓始めて30年

プロになって20年

結婚して10年

という節目の年。

 

人生は楽しい。

10年の変化は想像を絶するものでした。

ワクワクする未来を描きながら、10年後に更なる変化を楽しむために、

“今”をとことん楽しんでいきたいと思います。

↓↓10年前の2人↓↓

↓↓今の2人↓↓

娘と

息子と