変化のきっかけー抱える症状の話ー

ここ7,8年で大きく生き方や考え方が変わっていることにふと気付いて驚くことがあるくらいなのですが(笑)

ブログに今後色々なことを書くのに、まずは僕のこの変化の根本のところを書きたいと思います。

今までもブログで書いたこともあったけど、新しいブログになってからはちゃんと書いてないのであらためて。

写真も無いし、長いし、ちょっと重いです(笑)

ので、、、興味がある方だけ読んでいただければと思います。

 

 

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口内炎は20代前半くらいから出来やすくて治りにくかった。

1ヶ月は普通で、長いときは半年近くも口腔内に滞在。

今思えば結構過酷なスケジュールや精神的ストレスもかなりあったかな。

 

長く治らないときは病院に行ったりもしてたけど、病院に行っても、わからず。

時には広がり過ぎた口内炎を強引に閉じようと縫い合わされたこともある。

あれは痛かった。。。自分の大量の血を見て、貧血起こしたのを覚えてます(笑)

 

唇や舌にできることがほとんどだったけど、30代に入り、喉の奥に痛みを覚えた。

しばらくは微々たる痛みだったけど、ある時期に強くなり、さすがに変だと思って病院に行く。

 

色々な大学病院で、検査の繰り返し。

行くたびに血を採られ、レントゲンを撮られ、尿を取られ(笑)←あたりまえです^^;

そしてお金も散々消えていった末に、結局原因不明。

 

で、「わからないですが、これ飲んだら痛みは取れると思います。」

とよくわからないまま薬をたくさん出される始末。

 

一時期はあまりにも痛みが強いと訴えると、局部麻酔などに使われるキシロカインを処方され、

「少し飲んで、喉を麻痺させてから、何か食べるといいですよ」と。

 

痛みの原因がなんだかわからないけど、とりあえず薬はたくさん出てきて、その検査代と薬代だけですごいお金が出て行ったのを覚えている。

「わからない」ということはとてつもなく不安で、早くなんなのかを知りたかった。

 

大学病院をたらいまわしにされ、6年前に最終的に東京の某有名大学病院で、

「難治性口腔咽頭潰瘍」という症状だと言われ、

「こういう症状はあるんですけど、原因は未だにはっきりとわかってないんですよ」

「これであと目の炎症と陰部の炎症があるとベーチェット病という診断になるんですが」

という、もうちょっと症状があれば難病指定の病気になるけど、今のままでは何の病気とも診断できません的なことを言われ、処方された薬はステロイド系の薬。

 

おそらく自己免疫疾患のひとつだろうということで、

対症療法的に処方された。

 

「でもこれって薬を飲んだら潰瘍は多少良くなるかもしれないけど、薬をやめたらまた再発するってことですよね?」

って聞いたら

「そうですね」

との返答。

 

治る見込みが少なくて、薬でやわらげるだけで、薬が無くなればまた元通りなんて、なんか違和感があって、、、結局ステロイドは断って、

夫婦で原因や痛みへの対処方法、根治を考えようと病院まわりは一切やめました。

ステロイドが必要な人もいるでしょうし、否定もしませんが、僕にとっては必要のないものだと思いました。

 

病院で調べ始めて、約1年近く、、、。

結局何もわからず、検査代と薬代で、さんざん浪費してしまったのでした。

 

でも必要な過程だったとは思う。

 

だからこそ学ぼう、知ろうと思って、、

 

そこから夫婦揃って、色々な勉強を始めたのでした。

 

それでも症状はひどくなる一方で、喉や口腔内に現れた潰瘍の痛みで、食べれない、飲めない、しゃべれない、眠れない、、、

人間としての活動がほぼできなくなるという状態でした。

 

 

唾液が染みるので、常に痛みがあって、喉が潰瘍でえぐれているから、うまく飲み込めなくてすぐにむせていた。

むせるのも痛みを伴うから、もう、何しても辛かった。

喉ちんこと言われる部分が潰瘍でえぐれて、無くなるんじゃないかと思ったことも(笑)

 

動けば痛いから、基本的に鬱々と固まっている日々で、

痛みから常にイライラしてた。

 

ほんと、家族には迷惑をかけたと思う。

 

 

病気とは診断されなくても、こういう状態の人たちってすごくたくさんいるんだろうな。

でもそういう人たちを救う制度はこの国には無いんですよね。

西洋医学の病院で「この人はこういう病気だから仕事はできません」って診断されなければ、例え仕事ができない状態でも何の保障もされないんです。これは肉体的にも精神的にも経済的にも本当にしんどかった。。。

 

 

 

 

色んなことを試しつつ、

環境を変えようと沖縄へ移住。

 

移住したあとも、おそらく声帯まで潰瘍が広がり、声が出なくなってしまい、筆談で会話をする日々もあった。

もう二度と声が戻らないんじゃないかと絶望したときもあった。

今でも声は出るけど、前のように大きな声は出ないし、痛みを伴う。

でも声が出るだけ有難いと思うようになりました。

 

なんでもなく、当たり前に、生きられるって本当に幸せなこと。

普通に人と話せて、普通にごはんをおいしく食べられて、普通にゆっくりと眠って、、、

なんて幸せなことなんだろうと思います。

 

 

痛みからどうやっても逃れられなくて、

でも逃げたくて逃げたくて、痛みを終わらせたくて、

最悪の方法が頭をよぎったこともあったけど、

 

やっぱり家族がいてくれたおかげで救われました。

 

とにかくとにかく感謝です。

 

また、この和太鼓の活動も、家族のサポート、兄弟のサポート、多くの仲間からのサポートで、

長く止めることなく、続けることもできています。

 

ありがとうございます。

 

 

今でも症状は続いているけど、最初の頃に比べたら遥かに良くなっているように思う。

しんどい時期もあるけど、ちょっと踏ん張って生活を整えると、潰瘍が回復していく感じで、

昔のように、ただ潰瘍がひたすら悪化するということはほぼ無くなりました。

 

 

色んなことを試しているので、どれが効いてるかもわからないし、

本当に様々な要因があるので、一概にはこれとは言えないんだけど、

 

そういう中で知ったこと、気付いたこと、伝えられたらいいなぁと思います。

 

同じ症状で苦しんでる人だけじゃなくて、

 

同じような要因で、違う症状が体に現れている人はたくさんいる気がする。

 

 

僕は、たまたま喉に"そういう形"で現れただけだと思ってる。

 

人はみんな違う。

みんな違うから、弱いところも違う。

 

 

生まれてから今まで体に取り込んだものたち、

生活環境、人間関係、

魂、霊体、肉体

輪廻転生、長い歴史の中での肉体・DNAの継承、

そしてその人への身体からのメッセージ

 

他にもたくさんの要素があって、全部つながってるから、とっても複雑な構造になっている思う。

こんなの捉えきれるわけがなくて(笑)

わかるわけがなくて(笑)

 

だから、みんな違って当たりまえ。

わからないのが当たりまえ。

だって人間は

強くて、弱くて、繊細で、頑丈で、脆くて、美しくて、汚れてて、硬くて、柔らかくて、、、、

要するになんでもあって、なんでもなくて、どちらでもあって、どちらでもない、

わからないものなんですよね。

 

そう思っています。

 

自分にはたまたま今の生活や、心持ち、食や環境が良い方向に作用しているだけであって、

それは必ずしも誰しもに当てはまることじゃないと思っています。

 

だから、自分がやってきたことの一部をここでは書いていくけど、

それが絶対ではないので、自分に合いそうだなというところだけ共感してください(笑)

 

 

少しでもその人にとって辛いことが改善されたらいいなぁと願っています。

 

そして何よりも、ガチガチに自分を縛り付けるのではなくて、ゆるっと気楽にやることをオススメします。

だって疲れちゃうもんね(笑)

精神的に良くない(笑)

 

 

難治性口腔咽頭潰瘍のタグ付けるので、

興味がある方はそのタグをクリックしていただければ、諸々記事が出てくるようにしておきますね。

 

この記事を書いてる時点では何も書いてないので、記事はありませんが、

すこーしずつ書いていきたいと思います。

 

 

以上、長々と読んでいただき、ありがとうございました!


おつかれさまでしたー!(^^)